日本のもう一つの宇宙卵?(古事記)

『現代語訳 古事記 ・福永 武彦 (編集)・出版2003 河出書房』

日本書紀より8年前に成立したと言われる712年成立の日本最古の歴史書、古事記、こちらのそもそももです。

天が先にあり、地上は「浮脂而、久羅下」と、油のような海月のようなものが浮いていたと・・・


古事記(推定成立:和銅5年:712)の冒頭に次のようにあります。

原文と読み下しは「古事記ー日本神話ー」・現代語訳は「福永 武彦 訳」から拝借

原文

天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神。次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者、並独神成坐而、隠身也。

次国稚如浮脂而、久羅下那州多陀用弊流之時、如葦牙因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遅神。次天之常立神。此二柱神亦、独神成坐而、隠身也。

上件五柱神者、別天神。


真福寺本古事記・上巻・本文冒頭

真福寺本(シンプクジボン)は『古事記』の中で現在一番古い写本といわれています。

名古屋にある北野山真福寺宝生院、鎌倉時代末の1320年頃、木曽川と長良川にはさまれた中州、尾張国中島郡内に、北野社が勧進された時、その神宮寺として創設された真福寺。慶長17年(1612)、徳川家康の命により、洪水などの難を避けるべく今の地に移転した。この時に、塔頭「宝生院」一寺となり、大須観音とも呼ばれています。

読み下し

天地あめつち 初めて ひら けし時、 高天たかま の原に成れる神の名は、 天之御中主あめのみなかぬしの 神。次に 高御産巣日たかみむすひの 神。次に 神産巣日かみむすひの 神。この 三柱みはしら の神は、みな 独神ひとりがみ と成りまして、  を かく したまひき。

次に くに わか く、浮きし あぶら の ごと くして、 海月くらげ なす漂へる とき 、 葦牙あしかび の如く  え あが る物によりて成れる神の名は、 宇摩志阿斯訶備比古遅うましあしかびひこぢの 神。次に 天之常立あめのとこたちの 神。この 二柱ふたはしら の神もまた、独神と成りまして、身を隠したまひき。

かみ の くだり の 五柱いつはしら の神は、 別天ことあま つ神。

現代語訳(福永武彦訳)

宇宙の初め、天も地もいまだ渾沌としていた時に、高天原と呼ばれる天のいと高いところに、三柱の神が次々と現れた。初めに、天の中央にあって宇宙を統一する天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。次に、宇宙の生成をつかさどる高御産巣日神(タカミムスビノカミ)。及び、同じく神産巣日神(カミムスビノカミ)。これらの神々は、みな配偶を持たぬ単独の神で、姿を見せることがなかった。

その後に、天と地とのけじめのつかぬ、形らしい形もないこの地上は、水に脂を浮かべたように漂うばかりで、あたかも海月が水中を流れ流れて行くように頼りのないものであったが、そこに水辺の葦が春さきにいっせいに芽ぶいて来るように、萌え上って行くものがあった。この葦の芽のように天に萌え上ったものから、二柱の神が生れた。

初めは、宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)、うるわしい葦の天を指し登る勢いを示す男性神。次は天之常立神(アメノトコタチノカミ)で、永遠無窮の天そのものを神格化した神である。この二柱の神も配偶のない単独の神で、姿を見せることがなかった。


文政10年(1827)頃の図像がありました・・・宇宙卵というよりもひょうたん系ですね!?

「神代正語常磐草」/細田冨延/絵入古書文政10年(1827) 木版摺から(かみよのまさごとときわぐさ)

細田冨延(1783-1828)による古事記の主要場面を、絵図でわかりやすく解説している本。

Japan Searchで検索して閲覧できます

Japan Search

Japan Searchで検索すると《ARC古典籍ポータルデータベース》として、RomaにあるUPS Marega(マレガ文庫=サレジアン大学ボスコ図書館と国立国会図書館に合計8つのデジタル情報として所蔵されていました。ほかにも所蔵(大学)しているところがあるようです。

油のように漂うものから葦の芽のように天に萌え上ったもの

高天原・葦原中国・黄泉国の三球構造図

親宇宙・子宇宙・孫宇宙の発生と重ねたりして?

神代正語常磐草を紹介した本がありました

『図説古事記と日本の神々-日本の神話が一気にわかる決定版!-吉田邦博 著・出版2007 学研』です。

 

本居宣長と細田富延そして

本居宣長により【「漢字に惑わされることの危険性」を説いて「古事記伝」の出版前】に出版された初心者向けの古事記の注釈書『神代正語』 (寛政二年(1790)刊)、文化十二年(1815)には『神代正語』の注釈として細田富延『神代正語常磐草』も出版されたそうです。そして、これらを意識した『神代正語籤』という和歌のおみくじが、安政六年(1859)にできたそうです。

「古事記」上の巻「神代の部」を仮名書表記した『神代正語』、そこにビジュアルな要素を追加した『神代正語常磐草』と言えそうで、「ヴィジュアル・アナロジー」・・・「巧妙にデザインされた画像・映像こそが、精神に直感の飛躍を許し、もって既知と未知を〈繋ぐ〉ことを許すのだ(バーバラ・M・スタフォード/高山宏 訳)」と繋げてもよろしいのではないかと。

本居宣長 もとおり-のりなが

1730~1801 江戸中期の国学者。国学の四大人の一人。伊勢の人。号、舜庵(春庵)・鈴屋(すずのや)。京都に出て医学を修める一方、源氏物語などを研究。のち賀茂真淵に入門、古道研究を志し、「古事記伝」の著述に30余年専心。また、「てにをは」や用言の活用などの語学説、「もののあはれ」を中心とする文学論、上代の生活・精神を理想とする古道説など、多方面にわたって研究・著述に努めた。著「うひ山ぶみ」「石上私淑言(いそのかみささめごと)」「詞の玉緒」「源氏物語玉の小櫛(おぐし)」「古今集遠鏡」「玉勝間」「鈴屋集」など。

細田富延 ほそだ-とみのぶ

1783-1828 江戸時代後期の国学者。 天明3年生まれ。出雲(いずも)(島根県)の千家俊信(せんげ-としざね)の門でまなぶ。著作に「神代正語常磐草(かみよのまさごとときわぐさ)」など。文政11年1月3日死去。46歳。伯耆(ほうき)(鳥取県)出身。通称は喜太郎。号は玉の舎。

本居宣長記念館サイトに「門人(モンジン)」というページがあります。

門人とは弟子のこと。宣長の門人を「鈴屋門人」、「鈴門」等と呼ぶ。『授業門人姓名録』には、第1番小津正啓から第490番平田篤胤までの名前が載る。

が、新しいサイトと古いサイトが今ひとつ関連付けされていないようで?「宣長ワールド 解説項目索引」のページにアクセスするのがちょっと混乱。

千家俊信は本居宣長の弟子だったそうですので、細田富延は孫弟子になるようです。神代正語常磐草初版は文政10(1827)ですので、宣長没後に出版されたようです。

この顛末は、『版木「神代正語常磐草」摺刷顛末記掲載誌 ビブリア : 天理圖書館報 = Biblia : bulletin of Tenri Central Library / 天理図書館 編 (通号 92) 1989.05 p.p42~48 著者 堀 東一郎』にあるようです。

Google ブックで「ビブリア92」を検索すると・・・残念ながら中身は閲覧できず。

また、「神代正語常磐草」を下敷きに安政六年(1859)ごろに、神社のおみくじとして『神代正語籤』が発行されたとのことです。

さて、三球構造図をモチーフに、2016年に、群馬県高崎市の山名八幡宮で「山名八幡宮の新しいロゴ。安産と子育てを体現すべく制作」されていました。