「ニッポン面影散歩」 マイマップ 202110号
第3回目は東京あきる野市の「養沢川から軍道」
御岳山方面から流れ出る養沢川沿いの谷間には、集落が点在している。川は戦後、フライフィッシングの国内発祥の地となり、今では聖地のような存在である。その川沿いをたどり、軍道という山里を訪ねてみた。(清野 明)
日当たりのいい山村では和紙を作ってきた
フライフィッシング発祥の川
真夏でもストーブを焚く、養沢川沿いの谷間の集落
農家は、夏は養蚕、冬は和紙作り
軍道和紙の起源は、大阪夏の陣(1615年、江戸時代(元和1年))の落武者が、先陣の旗指物の大旗に使用する紙を漉いていたもので、この地に紙漉きの技術を伝えたといわれている。
1800年代、江戸中期ごろより山沿いの村々(西多摩郡五日市町の軍道・落合・寺岡・本須などの集落)で紙漉きが行われ、その中でも乙津村字軍道が盛んであったので、その地名から「軍道(和)紙」と名づけられた。
しかし、昭和38(1963)年には紙漉きをする家が一戸もなくなり、62(1987)年に当時、五日市町で軍道和紙の伝承と保存を目的に、「ふるさと工房五日市 軍道紙の家」を建設、体験場として現在に至っている[全国手すき和紙連合会 和紙の手帖Ⅱ 軍道紙(乙津 昇平氏執筆) 1996年発行から] 。(注)1995年 9月秋川市と五日市町が合体、あきる野市と改称
軍道和紙は楮100%を原料とし、トロロアオイの粘液を加えて作られており、紙質はきわめて強靭で、障子紙、帳簿紙や製茶用の焙炉(ほいろ)紙などに使われている。
ー 紙への道 和紙紀行から
「ニッポン面影」のひとつ「和紙」。それには水の豊富な「紙漉き場」がつきものですね。
『近村 紙すき場』 作者:速水御舟
【絵画データ】
1914年作
232.5cm×55.5cm
収蔵場所 東京国立博物館(東京都・上野)
速水 御舟(はやみ ぎょしゅう、1894年(明治27年)8月2日 – 1935年(昭和10年)3月20日)は、大正・昭和初期の日本画家である。本名は蒔田 栄一(まきた えいいち、後に母方の速水に改姓)。禾湖・浩然のち御舟と号す。オクイシェー・クーロンヌ勲章・赤十字二等名誉勲章受章。今村紫紅は兄弟子。
1894年(明治27年)8月2日、東京府東京市浅草区に生まれる。従来の日本画にはなかった徹底した写実、細密描写からやがて代表作『炎舞』のような象徴的・装飾的表現へと進んだ。長くない生涯に多くの名作を残し、『名樹散椿』(めいじゅちりつばき)[1]は昭和期の美術品として最初に重要文化財に指定された。1935年(昭和10年)3月20日、腸チフスにより急逝した。40歳没。
ー ウイキより